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私のレース参戦記

1971年8月15日オールミニ3時間耐久レース 野呂山スピードパーク
1971年7月25日 中国クラブ連合レース第4戦 野呂山スピードパーク


私がフロンテ空冷360で初めて四輪レースに出場したのは1971年に中山サーキットで開催された西日本自動車レースだった。
当時はホンダZ500が速くその中でも特に岡山の戸田レーシングが強く上位を独占していた。私が客観的に見て戸田レーシングのZ500は当時としては非常にハイレベルな仕上がりだった。一方私の空冷フロンテはエンジンがノーマルだが徹底した軽量化とサスペンションに重点をおいたジムカーナー仕様だった。

エンジンをチューニングすると寿命が短くなりトラブルのリスクも増大するのでとにかく金のかからない方法で戦闘力の有る車にする事が最大のテーマだった。そんなエコなコンセプトで成立していた空冷360だったがそれでも360㏄クラスでは勝てるポテンシャルは有ったがそれに飽きたらずホンダZ500と対等の勝負をしたいと思っていた。しかし高低差が大きい野呂山スピードパークや中山サーキットの様な難コースでは如何にサスペンションを改良しボディの軽量化に徹しても所詮360㏄のノーマルエンジンでは登りや直線部分でフルチューニングされたZ500に引き離され太刀打ち出来なかった。1971年~72年頃の両サーキットに於けるスプリントレースではスズキ・ダイハツ・スバルなどホンダZ500以外の車では総合優勝は望めなかった。そんな状況下1971年8月15日に野呂山スピードパークに於てオールミニ3時間耐久レースが開催される運びとなった。スプリントレース用として高度にチューニングされたZ500のエンジンが3時間のレースに堪えられるとは考えられなかったのでZ500を下す絶好のチャンスと捉えレースの2ヶ月位前からエンジンのオーバーヒート対策が最優先事項と考えエンジンへ水を噴射するシステムに着手した。シリンダーヘッドへ取り付けた温度計と睨めっこをしながら少量の水で如何にエンジンの温度を効率良く下げる事が出来るかひたすらメイクアンドトライを繰り返しほぼ納得出来るレベルに達したのはレース開催日の10日位前だったと記憶している。あれから45年経過したが水噴射の完成を目指し脇目もふらず懸命に取組んだ事を今でも鮮明に憶えている。当時の私は若く体力も気力も有ったのでトタン屋根の小屋で暑さと戦いながら毎日黙々と作業を続けやっと完成に漕ぎ着けた。多くの失敗を重ねたがその過程で貴重なノーハウを得ていたので他のフロンテユーザー達の水噴射の完成度については車載されている水タンクを一見しただけで判断できた。それらのフロンテに車載されていたのは18リットルのポリタンク2個で合計36リットル(36㎏)だった。フロンテの重量はおよそ430㎏で36馬力だからパワーウエイトレシオは1馬力当り12㎏になる。
36㎏の水を車載するとそれだけで3馬力の損失になりポテンシャルはその分下がるがそれよりも重要な事はそのシステムがエンジンの冷却に役立っていないばかりか害になっている点に有る。3時間で36リットルもの水を必要とする車の後方へ付けたら路面へ流れ落ちた水が巻き上げられて後続の車のウインドウを汚すだけでなくその水で自らスピンし他の車を事故に巻き込む恐れも有る。水噴射が完成していたら走行中に路面へ水が落ちる事はない。私は水噴射におよそ50日を費やし問題の無いレベルに仕上がっていたのでレース本番でも順調に作動し3時間で6リットル弱の水を使用しホンダZ500の他多くのライバル達を抑えて総合優勝する事が出来た。
その翌年(1972年)のオールミニ3時間耐久レースも前年と全く同じ仕様で出場し2年連続の総合優勝を果した。スプリントレースではホンダZ500に勝てるチャンスはほぼ0%だったが耐久レースでは空冷フロンテのエンジン温度をコントロールする事に成功し「ホンダZ500に勝利する」という願いはこの時点で成就した。

空冷エンジンのオーバーヒート対策でエンジンへ水を噴射する考え方は1968年頃から日本各地のショップや個人が試していたので特に目新しい物ではなかったがこの完成度に於ては私のシステムが一歩先行していたと思う。四輪レースを始めた頃は経済的に余裕が無かったので必然的に金をかけずにポテンシャルを上げる方法について日々アイディアを練りそれを具体化する事に喜びを感じていた。当時私をサポートしてくれたスタッフは4名居たが技術系の人間は一人も居なかったし私も自動車に関し整備士の資格は元より専門的な教育も受けておらずチームは全くの素人集団だったが初レースからそれなりの成果は出せたのでチームの士気は高く努力を惜しまず自主的に取り組んでくれたのでそれが私のレースの戦積にも継がり彼等には今だに感謝している。

私の空冷フロンテは元々ジムカーナー仕様で日常の足として使用し県外のジムカーナーに参加する時はもっぱら自走していた。
そんな理由でエンジンはノーマルだが車高を下げてサスペンションをピロボールに変え足回りの不用な動きを制限していた。前記した様に軽量化に力点をおきボンネット・エンジンフード・ドア・シート・燃料タンク・エンジンのクーリングカバーなどをFRPで製作しフロントウインドウを除く全てのガラスをアクリルに変え内装も全て取り除いた。これらを合計すると20㎏以上軽くなっている。1970年からジムカーナーに参加し1973年までに合計18回優勝しその内11回は総合優勝。
1973年から乗ったクーペと比べると操縦安定性は空冷の方が良い。その理由は空冷の方が乗車位置が前進しておりその結果前後の重量配分が良くそれに加え車重が40㎏以上軽い事によるものと考えられる。空冷フロンテの特性を最大限に生かせる場がジムカーナーと耐久レースだった。

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アオキエンジニアリングのブログです。
アオキエンジニアリングは、フロンテクーペとFLBレースで培った技術とノウハウを活かし、フロンテエンジンのリビルド及びチューニングの他、メッサーシュミットと旧車二輪のリビルド及びレストアを行っています。

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